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「かなわない夢は見ない」と言い放つ、超前向きルーキー

駒沢公園にあるブルックリンリボンフライ(以下BRF)は、青山のCOMMUNE246と原宿に店舗展開しているこだわりのあるおいしいお店。スパイラルにカットしたジャガイモをカリカリに揚げたリボンフライが名物だ。そこに2015年から元気なバイト君が参加した。人懐っこく恐れを知らない感じの大学生で、これは面白い子が入ったなあと思っていたら、4月、BRFを運営するコズ株式会社に、創業以来初の新入社員として入社したというのだ。山川さんBRFでバイトをするに至ったきっかけを聞いてみると、それはコロンビアで育ったからなのだという答え。なにそれ、どういうこと?

「一昨年コロンビアから親友のなほみちゃんが遊びに来て、10数年ぶりに会おうということになったんです。 母のすすめで気になっていたCOMMUNE246でご飯を食べました。そこで出会ってしまったのがBRFのポテト。もうおいし~い!って興奮して、すぐインスタグラムをフォローしました。1年後、インスタグラムのポストでバイトを募集しているって知って、アルバイトを辞めて就活準備をしていたのに、どうしても働きたくて応募しちゃったのがご縁の始まりでした。」

コロンビア育ちの帰国子女、万年クラス委員の優等生、時々アイドル!?

お父さんの仕事の関係で2歳から幼稚園までメキシコ、小1から小4までコロンビアに住んでいた。治安がよくない地域なので、子どもの外出はほぼ車だし、学校も警備が厳重な日本人学校で、現地の人とはほとんど接触がなかった。

「だからラテン系なのね、とか言われるんですけど、残念ながら帰国子女のくせに英語もスペイン語も話せないんですよね(笑)」

お母さんは慣れない土地で2歳の山川さんと年子の弟さんを育てた芯の強い人、幼児が二人もいる中、末の妹さんをメキシコで産んでいる。両親の絆は強く、たとえ情勢が良くない外国への駐在でも、家族は一緒に暮らすというのが山川家の方針だったようだ。サッカーや野球が好きなスポーツマンでバイタリティのあるお父さん、厳しいけれどあたたかいお母さんに育まれ、3人兄弟はすくすくと育ったようだ。

小1から高3までの全校生徒約20人の学校で先生は各学年一人いたので、教育は丁寧、人間関係は教師との間も学友たちとも深くて密度が濃かった。人材に余裕があるので、勉強でもなんでも大人にせかされることもなく、納得いくまで待ってもらえた。親友になった「なほみちゃん」と友情を深める時間も十分あった。放課後は敷地内にある自然豊かな野原で思う存分遊び、年子の弟とともに、おおらかでのんびりした環境で幼少期をすごしたそうだ。

「小4の時に帰国して、そのまま公立の小学校に入り、地元の中学に進学しました。万年クラス委員、成績もトップクラスで、みんなをまとめるクラスの人気者。バスケ部でしたが、バスケは下手なのに人をまとめるのが上手だからと部長をやっていました。教師とか親の期待に応えるのが心地よくて、期待通りの子どもでいたんですけど、人間関係はなんとなく表面的で、親友と呼べる友人もできない。うまくやっていたけど、級友相手には深い話はできない、少し寂しいような気がしていました。中学で個別指導の塾に行っていたから、そこの大学生の講師とは真剣に話していました。大人の方が好きだったな、中学生の時は。」

その後地域で有数の進学校に進んだ。そこで思わぬ心境の変化に襲われる。遅れてきた反抗期とでもいうんだろうか。

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「中学ではトップクラスだった成績が、普通になってしまったんです。クラス委員になる人材はその辺にたくさんいて、自分なんておよびじゃない、普通の人じゃんって、勉強がつまらなくなって。もう大人の期待に応えるのはやめて、自分がやりたいように生きようと決めました。

友達も最初はあまりできなかった。ハンドボール部に入って、部活は一生懸命やりましたが、勉強はそっちのけで、成績は振るわなかったんです。それでも高3の時、持ち前の明るさが出てきて、文化祭でイベント司会をしたり、映画を撮ったりしました。人に評価されると嬉しくて、物を作って、自己表現をするって勉強より好きだと思いました。その時から表現を仕事にしようと考えるようになったのだと思います。」

その後大学に進学し、明治大学で情報コミュニケーションを学ぶ。大学時代も学業の他にアルバイトやバンド活動に明け暮れた。バイトでは塾講師なども経験、自分が通っていた個別塾で先生を始めた。でもやる気のない子に教えるのも、点数アップなど数字を要求されるのにうんざりして、教師は向いていないと思ったそうだ。バンドでは学生バンドだけではなく、はるかに年齢が上の大人とももいろクローバーZのコピーバンドをやったりした。

「どんな人がいるかわからないから危ないよ!とか忠告されたけど、ツイッターでメンバーを募集しているのを見つけて、入っちゃいました。おじさんのバックバンドと年齢バラバラの女子が5人、私が最年少でした。コピーバンドでもアイドルをやっていると、私にさえファンがついたりして驚きましたね。バンド人生を歩んできた個性の強いおじさんたちと活動するのも面白かったし、広報のやり方で集客が変わるとか、そういうことを考えるきっかけにもなりました。何より自分を商品として考えなくてはならないということで、容姿がどうとかいうコンプレックスや執着がなくなった。太ったねとか言われたら、昔は傷ついたけど、今は『それなら痩せるわ』と思うだけ、みたいな。自分にも人にも客観的になってしまって、人にどう思われるかとか、あまり気にならなくなりました。今でも時々会っていますが、異年齢の仲間が持てたことで、なり自分の中のキャパが広がりました。」

いよいよ就活の季節になり、アルバイトも整理して準備をし始めたころ、冒頭のバイト面接の話につながる。まるで見えない糸がついているように、彼女の人生は人から人に転機がつながっていくようだ。そして面接、ここでも運命の出会いが待っていた。

下北沢の町歩き

学生時代によく歩いたという下北沢を散策。

好きな事を仕事にする難しさ、父の反対、選んだ道

BRFのオーナーでもあり、後に入社するコズ株式会社のCEOでもある井本喜久氏とここで初めて顔を合わせた。

「井本さんはずっとニコニコしていて、面接で会った瞬間『合格!』って。私の何を気に入っていただいたんだか、今でも謎です。私もBRFのブランディング力に感動していたし、相思相愛(笑)ここで働きたいと思ったので、すぐ決まりました。」

大学生活の最後の半年は、BRFでアルバイトをしながら、就職活動に勤しんだ。モノづくりが好きということから広告制作の仕事を志望していて、就職を果たすために必要だと思う知識を身に着けようと、企画やコピーライティングの講座にも通い、着々と準備をすすめていた。ところがここで思わぬ障害が出現する。お父さんの反対だ。好きなことは仕事にせずに週末に趣味として続ければいい、という。お父さんは、なんとかあきらめさせようと、大手代理店でコピーライターをしている知り合いに娘を送りこみ、業界の厳しさ、仕事の難しさについて諭してもらうという作戦に出た。

「でも、その方の話を聞けば聞くほど魅力的に思えて、どうしてもあきらめられなかった。
『本当にいいものとそうでないものを発信できる広告がないと、世の中がよくならないから、広告の仕事をしたい』と父を説得しました。言い出すとあきらめないのはわかっていたので、父も渋々認めてくれました。」

インターンにも応募して、大手広告代理店の雰囲気も体験したが、中に入ってみると大きなお金が動く業界大手の仕事はクライアント第一、当然ながら必ずしも自分がいいと思う商品でなくても、売らなくてはならない。向いていないかもしれない。自分の感覚や信念を捨てずに好きなことを仕事をして生きていくことはできないんだろうか、生涯初めてというほど思い悩む。

「悩んでいた時、今の社長から『その気があれば新入社員としてコズに迎える』という話をいただきました。井本さんの仕事は、私が考えるソーシャルな仕事とお金の間で絶妙なバランスを保っていた。ここで働くことで自分の行くべき道が見えてくるんじゃないかと思いました。しかも新卒採用など初めてのこと、井本さんにとってもチャレンジだというのです。そこまで真剣に考えてもらえるなんて、すごいことだと思いました。母はやりたいことを譲れない私の性格を理解していて、賛成してくれましたが、父は話も聞かず大反対でした。父とは子どものころからよく話したし、理由も聞かずにシャットアウトなんて初めてのことです。父に反対されるのは辛いことでした。確かに小さい会社だし、貯金はできるのかとか、将来を心配してのことだとわかっていましたが、自分の意志を貫きたかった。どうしてもわかってもらいたくて、泣きながらもひとつひとつ理由を説明して、納得してもらいました。」

新入社員でいきなりビックプロジェクト

笑顔が印象的

ラテンといわれるのがわかる、表情が豊かな方。なかでも笑顔はいつでもとびきり。

コズ株式会社の新入社員になって初めての仕事が、ルミネが新しく新宿に打ち出した施設NEWoManの屋上で展開するマルシェ「The CAMPus」の企画運営だった。短期間契約のいわば屋台村で、お店をやりたいと思う人なら誰でも挑戦できる場だ。運営には旬のショップがひしめく新しいビルの一員としてのセンスが求められる。やりがいはあるが、一方ではカリスマ社長のそばで働く悩みもあるらしい。

「井本さんは本当に才能があって、人としても尊敬しています。地球のためにとか、未来のためにとか、心と体を健康にするためにとか事業のビジョンにも心から共感できます。いつもスーパーポジティブで、困った状況でも『なんとかしよう』 というだけではなくて、本当になんとかしてしまう。ファンも多いし、井本さんと仕事をしたい人もたくさんいる中、勉強させてもらっている私は幸運だとも思います。でも、将来井本さんのようになれるとは思わない。正直、呑み会とかで会ってたら、仲良くなれたかどうかわからないくらい(笑)自分とは異質。だから社長のエネルギーに押し流されず、冷静に自分の仕事を考えないといけないと思って働いています。自分はスピードで勝負というより、時間がかかることにじっくり取り組み、最良のタイミングを気長に待つのがスタイルのような感じがします。味のある仕事が好きというか、これはコロンビアののんびりした環境が影響しているのかもしれません。もしかして、自分はゼロから1の爆発的なアイデアよりは、一つ一つの点をつなぐイメージで人と人をつなぐ仕事が好きで向いているかもしれない、この頃そう感じています。」

いきなり大きなイベントを担当してみて、世の中を動かすのはどういうことか、日々学んでいるのだという。最初に知名度のある大きなプロジェクトに挑戦できることはラッキーだった。とてつもない背伸びをしなくてはならないが、新米ながらもなんとか信用してもらうために、努力は惜しまない。

「立場上、自分よりはるかハイレベルな人と働いたり、交渉しなくてはならないことも多々あります。気おくれしてしまうけれど、むやみに相手を恐れず、信じていただけるように誠実に向き合おうと思うんです。」

決して儲かる仕事じゃない、と苦笑いをしつつ、何かやりたいと考えている人たちに「The CAMPus」でならやれるかもしれない、と気づいてもらえること。そしていつも新しいいいものがあって、イベントやライブがなくても、「面白いことがありそうだ」とふらりと立ち寄ってもらえるハイセンスな遊び場になることを目指している。

「井本さんに縁を呼び込む体質だと、なんとなしに言われたことがあるんですけれど、確かに行く先々で人とつながって、仕事に結びつくことが珍しくないんです。この前も大好きな某雑誌の編集長に大好きなバンドのライブで偶然会ってしまって。その方雑誌を手売りしていたんですよ。かなり前から尊敬していた方だったので、どうにか一緒に仕事をしてみたいと思って、思わずThe CAMPusでトークショーを開いて欲しいというお願いをしてみました。今、その実現に向けてひっそりとイベントを構想中です。好きな物を軸に人と出会える運があるみたいです。」

もとすみマニアックず。

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そんな怒涛のような毎日だが、彼女は仕事とは別にフリーペーパーの編集長をしている。じっとしていない人なのだ。話題のFP「もとすみマニアックず。」は第一号が出たばかりだが、地元「元住吉」の町を紹介する内容で、WEBメディアの取材もちらほら。若者が発信している斬新で今っぽい紙媒体として少しずつ評判が広がっているそうだ。

「一見ふわっとした内容のフリーペーパーですが、メンバーが好き勝手にやりたいことをする自由な実験の場なんです。私は文章を書きたいし、カメラマンとかデザイナーとか、分担して作っています。取材の以頼があったり、制作物を作ってほしいという声があったり、地元にもそういったクリエイティブの需要があるんだなと感じました。これからは紙媒体の他にイベントをやったりと、なんでもできる場としてライフワークにしたいと思っています。

地元ってみんな気になっているけど、中学生以来離れてしまう人が多いでしょう。あるとき中学の同級生と地元で呑んでみようということになって、お店に入ってみたら、地元の人と仲良くなったり、2時まで呑んでも歩いて帰れたり、楽しかったんですよ。若いときから地元のコミュニティに参加していて、いきつけのお店があるっていいなあって。経済も回るし、地元のためにもなるんですよ。そういうことに気づいてほしいなあと思って始めたんです。」

昔から抱いていた夢は雑貨屋さん、編集長になること、文章を書くこと。今まで着々と叶えてきている。自分がいいと思うものを集めてマルシェを運営する、フリーペーパーを作り、書きたいことを書いて発表する。しばらく会わないとまるで違うステージにいて、どんどん前に前に進んでいく。自覚があろうがなかろうが、いかにも井本さんの弟子らしい。

「私は叶わない夢は見ないんです。実現できる夢だけを見るんです。ぼんやりとでも目標を想定したら、そこに向かって、今日、今何ができるのか考えて、実行する。それを繰り返していると、だんだん夢に近づいていくし、自分には縁がないと思っていた別世界との垣根がはずれていく。行きたいところがあるなら、動くこと。最速で誰とでも対等に話せる力をつけたい。いずれは山川と働くと面白いと思われたいし、個人として仕事を頼まれるように成長していきたいです。山川みずきの書くものは面白いね、とかジンを出したら注目してもらえるような存在にもなりたい。お金も大事ですけど、そんなに執着はないんです。好きな事だけをやって食べること、評価されること、25歳までにブランド確立!がとりあえずの目的です。」

25歳がひとつの区切りと山川さんは言うが、長いようであっという間の3年の間にどれだけ大きくなるんだろうか。

秒速で進化中の貪欲なルーキー、山川みずきに注目!

下北のおいしいカレーのお店で

「私食いしん坊キャラなんですよ」と微笑む山川さん。いつも動いている心と体を支えるのは、おいしいご飯、ですよね!

文・構成・写真 タコショウカイ・モトカワマリコ