南砺との出会いはきっとご先祖様のお導き、ご縁をつないでいい仕事がしたい。

横浜市内を抜け、横須賀線が大船の駅に入ったあたりから、光の色が違ってくる。湘南に来ると気持ちが明るくなるのはどうしてなんだろう。あそべかよ子さんとの待ち合わせは鎌倉駅の西口。駅前には時代ものの時計台があり、江ノ電に乗り換える人で賑わっている。湘南育ちのあそべさん、まずは由比ガ浜に行って秋の太平洋を見ようということになり、海岸へ。誰もいないかと思ったら、海を見に来ている親子連れやお散歩の人たちがけっこういるものだ。太平洋が似合う彼女だけれど、ひょんな出会いから富山県南砺市のPRの仕事をしている。

「目が開けられないですね、まぶしいな。今富山県の仕事と平行して、日本海側から日本を盛り上げようというプロジェクトに取り組んでいるんですけど、日本海は日本海でいいですねえ。日本を挟んでぐるっと海を網羅、という感じですね(笑)」

みんなの音が一つになったときの高揚感

IMG_2690茅ヶ崎で生まれ育った彼女は、小学校低学年の時に鼓笛隊に入りたいと宣言。いろんな経験をして好きな道を見つけてほしいという両親の思いから、習い事は様々勧められていたけれど、自分からどうしてもこれをやりたいと思ったのはそれが初めてだった。

「はじめは華やかな衣装で町をパレードしたり、楽しそうだなと思ったんですよ。小太鼓担当だったんですが、練習した演奏を皆で一つの音に合わせるときのあの高揚感を一度味わったら忘れられなくなってしまって。メロディよりはリズムパートが好きでした。今でも好きな音楽は、メロディよりリズム派みたいです。」

中学ではブラスバンドでホルンを担当する。本当はサクソフォンが吹きたかったのだけれど、競争率が高く、管楽器ながらリズムパートを支える役割で参加した。その後洋楽好きの兄や地元TVの音楽番組の影響でバンド好き少女になり、初期のスカパラダイスオーケストラなどを聴きに渋谷に行ったり、藤沢のモッズ文化の拠点のお店・ツインキーなどに通って、音楽仲間を増やしていった。

「ライブに行くと大人のお姉さんやお兄さんと知り合いになれたり、モッズのクールでカッコいい先輩に憧れたり、刺激的な日々でしたね。それから社会人になるまで、学校に通いながらもライブ三昧で、多大なる音楽やアートのカルチャーの影響を受けました。今でもその傾向はあまり変わらないですが。」

好きなことはあるけど、仕事にはつながらなかった

学生時代はライブに通う日々。その頃いろんなバイトをやっていたが、印象的だったのは横浜・元町の高橋書店で働いたこと。洋書も扱っていて、スタイリッシュなグラフィックの海外の雑誌、写真集などに囲まれて働いていた。

日本の古い道具たち

(写真・あそべかよ子)

卒業後は洋服の生地卸の会社で営業事務をやった。数年務めたけれど、やりがいが見つからない。思い切ってイギリスに行くことにした。ずっと憧れていたロンドン。もともとイギリス文化に興味があった。後々面白いと思い始める骨董の魅力も、ロンドンで出会った骨董市で味わった興奮からつながっていく。使い道がまったく想像もつかないような古い道具類が売られていて、道具に実用性とは違う歴史的な価値を見出して、面白がるセンス。古い家や道具を修理してずっと使う文化、それに当たり前のように対応できる職人の技術、イギリスに限らず長い歴史のある国ならでは文化なのだろう。

「日本にもこういうのあるなあと思ったんです。いわゆるファインアートじゃないもの、日常品に使ってきたモノに美術的価値を見出そうという民藝運動の考え方なんかがそうですね。こういう感覚好きなんだと認識したのはそれがはじめ。のちに仕事をすることになる南砺市も、実は日本の民藝運動のふるさとと言われている地だったことがわかると、イギリスへ行ったのも運命だったような気がします。」

帰国後、仕事で出会った縁でアパレルの会社に転職。販売促進のスタッフとして、ブランドの多店舗展開の出店やカタログやパンフレットのグラフィックディレクションなどの仕事をした。

「現場ありきの商品ディスプレイにこだわる会社でした。出店とかリニューアルのたびに商品企画に合った展開を考慮して、どう置いたら効果的だろうかと、工夫するんですが、場数を踏んで、ずいぶんと鍛えられたと思います。」

アパレルで鍛えた腕を買われ、その後スペインの有名バックブランドのファクトリーブランドの日本での立ち上げに関わったりと、販売促進の分野でスキルを積んだ。が、事業部閉鎖をきっかけに方向転換を考える。

「会社を退職してからは、グラフィックの学校に通いながら、万年筆を販売する仕事をしていました。そこでは修理も請け負っていましたが、万年筆の顧客ってマニアックで、何年も何十年も直しながら同じ万年筆を使うんです。専門の職人が直すのですが、それがすごく繊細な仕事で。古いものをずっと大事にする人と修理する職人の世界観がステキだと思った。古いモノを大事にする文化っていいなあ、イギリスで出会った骨董のことを思い出したりして、改めて自分が好きなのは、そういう世界なんだと思いました。」

古いモノ好きが高じて見仏記

IMG_2846あそべさんのおかあさんは秋田の出身で、ハレの日になると、郷里の工芸品でもある樺塗の道具類や食器が出てきた。 書道の先生でもあったおかあさんは和紙で人形を作ったりと、生活の中に当然のようにモノづくりの風景があった。家での普段使いの食器や道具類も今から考えると値打ちのあるもので、知らず知らずのうちに伝統のある本物に触れる体験をしていた。そんな文化的な下地もあり、当時話題になっていたみうらじゅんといとうせいこうの「見仏記」を読んで影響され、京都奈良を手始めに、珍しい仏さんをめぐる旅をするようになったそうだ。

「仏像はその時の観る人の気持ちを映すものだという気がします。仏さんを見ていても、自分を見ているようなところがあるんです。私にも、何かあると、会いに行く仏さんがあります。」

IMG_2867今回もそんな訪問。連れて行ってくれたお寺「杉本寺」は、中心部から少し離れたところにある鎌倉の最古刹で、本堂が丘の上にある。苔むした階段や山門が季節ごとに美しい、小さな鎌倉らしいお寺。人知れず本堂に安置された地蔵菩薩は運慶作なんだそうだ。薄暗いお堂の光の中で目の前にしてみると、存在感があり、微笑んでいるようにも憂いているようにも見えた。

「このお寺古くて趣があってイイ感じでしょう?仏さんを探して地方を巡ると、山奥のお寺にはその土地の歴史や文化が眠っているんです。そんな旅で出会う仏さんの中でも円空仏がわたしにとって特別な存在。仏巡りをきっかけにお寺とか、庭とか、建築にも興味を持つようになりました。」

あそべのルーツ南砺との運命的な出会い

グラフィックの勉強を終え、エステティックサロンと雑貨店を経営する会社に就職。全国の新店舗の立ち上げやリニューアルの搬入搬出に明け暮れる数年、後半は雑貨店のバイヤーをしていたが、10年勤めたところで会社が吸収合併されたことを機に退職、新たな道をさぐりはじめる。
いろいろな職場を経験する中で、地方を回ったり、人と人をつないでいくのも仕事だったこともあり、知り合いは多い。あるとき昔の知り合いで地方創生の仕事をしている友人と会うことになった。

「年に数回会うかどうかという知り合いで、しょっちゅうお会いする方じゃないんです。本当にたまたま食事をすることになったのですが、世間話で、最近その方が富山県の南砺市の地方創生の仕事をしているっていうんですよ。実は私の祖父母は富山県の出身で、南砺はあそべ家のルーツ。奇遇としかいいようのないことでゾクリとしました。」

たまたま会った相手が自分のルーツ「南砺」の仕事をしているなんていうことはそうあることじゃない。これはご先祖様のお導き?それまでは祖父母の出身地で、「遊部」という地名が残る土地という遠い印象しかなかったのだ。それが突然近づいてきて、南砺のプロジェクトに参加することになり、生まれて初めてルーツの地、南砺市に行くことになった。こんな急展開、その数年前に亡くなったお父さんが結び付けてくれたご縁だと思った。

あそべさんの眉毛

「あるとき南砺の棟方志巧にゆかりのある老舗のお菓子屋さんに伺うことがあったのですが、近くのバス停に『遊部』って書いてあるんです。きっとここが故郷なんだろう、と思いました。そうしたら南砺市の方も面白がってくださって、市役所に遊部さんがいるからって紹介してくれました。その方に会いに行ったんですけどお会いできず、その方のお母さんの家を教えていただいて、伺いました。その方はお嫁さんで詳細はわからないということで、真相はわからずじまいでしたけど。会う人会う人に市役所の遊部さんに顔が似ていると言われ、もしかしたら遠い親戚なのかもしれないな、と思いました。そこでは坂本というエリアに遊部のお墓があるという情報をもらうことができました。」

知人が南砺市の仕事をしている…聞いてから数か月のうちに、自分が南砺にいることが今だに不思議でしょうがないのだという。東京にいる親戚も年を取り、南砺との縁も薄くなっていくし、誰一人先祖のお墓の場所も知らない。お墓だけでも探さなくては、あそべさんはそう思った。

南砺の風景

(写真・あそべかよ子)

「次の日に仕事で、棟方志巧ゆかりのお寺で襖絵などもあり、民芸運動にも深い関係のある光徳寺というお寺に伺いました。そこで坂本エリアの遊部のお墓について話したところ、住職がお留守でお寺の過去帳が見れず、そこにお墓があるかどうかはわからなかったのですが、もう少しでお墓詣りができるところまで接近しました。」

親戚がいうには、あそべさんの祖父母の家は南砺の絹問屋だった。屋号が「にろくさ」という大店だったのにお墓がわからないのには事情がある。祖父母は南砺から東京の浅草に駆け落ちしてきたカップルだったのだというのだ。今お父さんの実家は向島にあり、親戚が商売を続けているが、故郷との縁は薄くなり、先祖代々の墓もわからなくなってしまった。

「60代になる親戚が小さいころ南砺へ行くことがあって『遊部さんの眉毛だ』と地域の人に言われた、というようなことはちょっと聞いていました。私も目元がはっきりしていて、眉毛が太いんですけれど、似ていると言われた南砺の市役所の遊部さんもそういうお顔立ちだったのかもしれないですね。」

地域とのご縁もあり、あそべさんはコーディネーターとして東京での南砺市のPR活動に関わっていくことになった。南砺の仕事をすすめながら、自由大学で開校された創業スクールに通い、課題で企画をまとめた南砺のプロジェクト案も、自分の仕事として実現していけそうなめどがついてきた。

「いっしょにやろう」南砺という点がラインにつながっていく

ある時、金沢市のアンテナショップである銀座の金沢というダイニングギャラリーで金沢市に隣接する市ということで南砺の食材を使ったフードのコラボイベントを開催した。その時、金沢出身の友人のひとりが興味をもって遊びに来てくれた。その方こそデザイン会社サーモメーターや器や道具のショップSMLの代表で、日本海側から日本を盛り上げていくプロジェクト「Greysky project」の発起人だったのだ。

2015年の9月に吉祥寺で開催された南砺の食と手仕事のプレゼンテーションイベント

2015年の9月に吉祥寺で開催された南砺の食と手仕事のプレゼンテーションイベント (写真・あそべかよ子)

その友人から「同じ日本海側をテーマに仕事をするなら一緒にやろう」と声をかけられた。魅力的な誘いだった。南砺はルーツの地でもあり、大事に長く関わっていきたい。南砺市と姉妹交流都市である武蔵野市との交流イベントも着々と準備を進めている。南砺とのつながりを活かして、広く日本のよさを広める活動にも興味をひかれ、Greysky projectの活動に参加することになった。

「富山に通うようになる前は、正直、北陸のことは何も知らなかったんです。どんな風土がある場所なのかわかっていなかった。でも加賀藩が培った北陸文化というのは奥が深いもの。北前船が運んだ北海道から北陸への物資と文化の流れも面白いんですよ。いろいろ見聞きするうちに、様々な土着文化を知りたいし、ライフワークとしてお手伝いできたら、ご先祖孝行できるかなって。
南砺に福光という場所があって、棟方志功が疎開先としたところなのですが、戦時中絵を描いて野菜と交換していたという話を聞きました。それまでの棟方には作品世界にあった我執があったと言われているのですが、そうやって福光の人と関わり、南砺に根付いた浄土真宗の教えの影響もあって、南砺で世界で評価されるような作風が魅力的に開花した、というようなエピソードも面白いでしょう。棟方を訪ねて南砺にやってきた、柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎、バーナー・リーチという民藝運動をリードした人々も南砺とのつながりがあり、作品も多数残っているようです。こういう隠れたエピソードは、南砺に限らず、どの土地にもあると思います。地元の人のお話しを聞いたり調べてみると、文化的に深いものがたくさんある。それを広く知ってもらって、興味をもってもらいたいと思っています。」

南砺を合流点に重なったふたつの人生

あそべさんは子供のころから、好きな事をさがしては、思いっきり楽しむタイプだった。ただ、社会人になってすぐは、仕事が楽しいとは思わなかったそうだ。仕事は仕事、趣味は趣味、そう思っていたが、紆余曲折を経て、ここ数年で急速に趣味の流れとキャリアの流れが合流してきた。

「自分の考えを積極的にアウトプットするようになったら、これまでプライベートでだけつながってきた人たちと面白いプロジェクトを起こしたりと、人と人をつなげて、新しいモノを作り出す、自分が興味ど真ん中で取り組めるようなことが仕事になってきた。自分の中にあるものを表に出すこと、発言することで周囲の対応も変わり、何よりも自分も変わってくるってことを最近実感しています。

それもこれもスタートは南砺。南砺を飛び出て駆け落ちしてきた祖父母は12人の子供を授かり、父は末っ子、私はその末っ子。末っ子の末っ子がギリギリ間に合って、あそべのルーツの地につながったという感じがします。再発見した故郷『南砺』を皮切りに日本の文化や風土、魅力を人に伝えたることをライフワークにしていこう、今はそう思って張り切っています。」

▼最近は何をしているの?しばらくお会いしないと、次のステージに進んでいる。活力があり、前向きなイメージのあるあそべさん。人と人を結び付けて新しいものを生み出すことに喜びを感じる、というのがよくわかる。そばにいるとよい流れに巻き込まれていく予感がする…こういう感じ、私生活と仕事の境目がない、それはこれから活躍する人に共通する特徴だと思った。

(文・クレジットのない写真 タコショウカイ・モトカワマリコ)