書を通じて日本語の美しさを伝えたい。

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鎌倉の新居にて、庭が見える縁側で話がはずむ。

 書家・國廣沙織さんが主催する「ろうちゅう会」というワークショップがある。「自家薬籠中之物(じかやくりょうちゅうのもの)」という故事成語から取った名称で、漢字で書くと「籠中会」。この故事成語の意味は、「必要に応じて自分の思うままに使える技術やもの、人のたとえ」だそうだ。名前からして主催者の丁寧で几帳面な人柄がわかる。興味を惹かれて参加してみた。

http://www.saorikunihiro.com

▶その日は学芸大学にあるフード&カンパニーというグローサリーの一角での開催。生徒が集まってくると、講師の書家・國廣沙織さんから、参加者の名前を五通りの書体で書いたお手本を渡され、筆ペンでノートに書くスタイルのお稽古が始まる。といっても、ひたすら手本の通りに自分の名前を書くだけ。楷書は学校で習ったけれど、他の書体で書くなど考えたこともなかった。http://www.foodandcompany.co.jp/

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お稽古のはじめに五大漢字の成り立ちについて丁寧な説明がある。知っていると字の書き方も面白みも違う。

「初めは友人に自分の名前をキレイに書きたいから教えてと頼まれて始めた会です。この1年3ヶ月間に約150名の方に参加していただきました。書は難しいと思っている方が多いけれど、自分の名前だったら入りやすいでしょう。どうせ練習するなら、楷書だけではなくて、書道の主な五大書体、行書、草書、隷書、篆書でも書いてみたら楽しいと思って、5つの書体でお手本を差し上げる形式にしました。書体は何千年も前に中国で完成しているもので、それが一番美しいとされています。難解な感じがしますけれど、一文字でも読めたら面白いものですから、自分の名前の字だけでも書いてみて、覚えていただけたらいいなと思っているんです。」

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一心に筆を動かす参加者。集中した空気が心地よい。

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「多」は多重円の中にある、指導は独特にして明解。

 

 

 

 

 

 

▶知ってるような、知らないような・・・古代文明の文字を模写する気分で、漢字を写す。それだけなのだけれど、これが面白い!字のディテールに注目しつつ、出来る限り忠実に再現したい。でも「とめ」「はね」「はらい」の筆使いさえわからず、全く書けない。自分の名前なのに、点ひとつ、線一本満足に書けないのだ。もうもうもう!初めてのことばかり。先生に基本的な筆使いを教えていただきながら、2時間半はあっという間だった。こんなに長い時間自分の名前だけ書くということはない。終わりにひと通り清書したら、まあまあ上手になった気がして、嬉しかった。書道には縁がないと思い込んでいたけれど、やってみるとこんなに面白くて、奥深いものか。自分の名前を書くことで、書の世界に触れて、楽しめるなんて、このWSはすごい発明だと思った。籠中会は、それまで広島で会社員をしていた國廣さんが、書家としての仕事を本格始動する大きなきっかけになった活動だそうだ。

http://class.saorikunihiro.com/

https://www.facebook.com/rouchukai

書家デビューはロンドン

「書道は子供の頃から習っていて、年賀状を書くのが楽しかったし、自分でも得意だなって思っていました。社会人になって海外留学をすることになったんですが、行く前に日本文化を習得しようと思って、遠ざかっていた書道を再開することにしました。」

▶思いついたらすぐやるタイプ、それも猛烈に。会社員を続けながら留学準備のため、英語ではなく書道の学校に4つも通い、全速力で腕を磨き、数十点の書の作品を持ってロンドンに赴いた。

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ロンドンのイベントでも書道は大人気

「ロンドンでご縁があって、初の個展を開いて、それが書家デビュー(笑)なのかな。それよりもインパクトがあったのは、ロンドンの日本文化イベントで外国人のみなさんの名前を書く会をやったこと。筆を使って漢字やかなで名前を書くワークショップが好評で、感動してもらえたのが嬉しくて、こういうのをもっとやりたい、書家として本格的に仕事がしたいと強く思いました。」

▶留学前は引っ込み思案でコミュニケーションが苦手だった國廣さん。書家になるという目的が見つかって動き始めると、異国で個展開催の交渉をしたり、外国人相手にワークショップを主催するほどに積極的になった。その後の彼女は、昔を知っている人に会ったら別人みたいだと言われるほど、劇的に変化したのだそうだ。周囲の友人たちは、次々に結婚して子供を持ち、普通の主婦になっていく。自分もそうやって生きていくのだろうと思っていた20代の半ば、友人たちとは違う道もあるんじゃないか、得意なことを仕事にして、個人として社会に認められたい意識の方が強かった。

「ロンドンから帰ってきてすぐ、東京に行って書家になる!と決心しました。元々自信がなくて、自分には何もできないと思い込んでしまう方で、考える前に動かないとがんじがらめになってしまうんです。でも、思い切って動いてしまったら、なんでもできちゃうもんだなと、自信がつきました。」

▶上京当時、知り合いは2人しかいないし、人見知りがひどく、一人で本ばかり読んでいた。ある時友人の紹介で知り合った人が、一人でどんどん料理教室やイベントに参加しているのを見て、出かけてみたことをきっかけに、少しずつ知り合いが増えていった。探してみると東京には友達が作りやすいイベントが数多く開催されている。かえって一人で飛び込んだ方が新しい出会いがあり、楽しいくらいだ。今書家としての活動の中心にある「籠中会」もそういうイベントでできた友達のリクエストで始まった。

「人に実は書をやっていると話すようになって、褒められることもあったりする中で、少しずつ書家としての自覚ができました。特に『百花』という着物を着るイベント。自分発信の企画に、人が喜んで集まってくれたことで、自信がついたんです。歌舞伎や能の講座を主催したりする中で、講座にお招きした先生の名前を掛け軸に書いたり、配るお菓子のラベルを作ったりと、イベントに書を使うことで、書家としての宣伝にもなりました。『籠中会』が始まったのもその頃、名前をきれいに書きたいから教えてほしいと友人に頼まれたことがきっかけでした。」

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百花会、大好評だった着物を着て能を楽しむイベント。

能の会、講師の先生のお名前を掛け軸に。

 

 

 

 

 

 

▶初めて参加する人が馴染めるように工夫もしている。自分の名前をお手本にするので、自己紹介の時に名前の由来について話せるし、お互いのことがわかり、親しくなりやすい。かつて一人参加のイベントで自分がしてもらった恩返しのように、楽しく温かい雰囲気を心がけているのだそうだ。それにしても籠中会には不思議なくらいパワフルな人が集まってくる。ここで出会った人との縁で仕事が広がっている。例えば昨年の夏には「PechaKucha Night」にも出演、300人を前に書について語るなど、人と人がつながって、國廣さんの活動は外へ外へと展開していく。

デザインとしての書を広めたい。

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ひらがなアクセサリー「くにひろさおり」 この春販売開始。https://www.facebook.com/hiragana.tokyo?pnref=story

▶書家としての活動だけでなく、デザイナーとしての仕事にも魅力を感じ、スキルを身につけようと考えてデザインの学校にも通った。課題で制作した漢字サイト『感じる漢字』は漢字の意味を感覚的につかめるユニークな試みになった。コミュニケーション手段としての文字だけでなく、デザインとしての漢字やひらがな、日本語の形そのものに惹かれてしまうのだそうだ。http://kanji.saorikunihiro.com/

「日本ってロゴやデザインにアルファベットを使うことが多いでしょう?せっかくかなや漢字があるんだからもっと使えばいいのに、と思うんですよ。特にひらがなは形が美しいと思います。かな文字を一筆でつなげて書いてみると、デザインとしても美しいんですよね。それなら手に取れる形にして、身につけたらどうかしら、というアイデアでひらがなのアクセサリーを作ってみました。」

▶前は自分の名前が嫌いだった、それは自分が嫌いだということと同義だと彼女は言う。籠中会で人に自分の名前を好きになろうとか言っているけれど、自分はそうじゃない。名前を愛せるようになるには、身につけたらいいかも、と思ったことから「くにひろさおり」という文字をデザインにして、ピアスにしてみた。初めは自分のために作ったのだが、評判になり、アクセサリーとして製品化することになった。

「最初は3Dプリンターで紙素材、次に樹脂、そして最終的には金属で製品化しました。知り合いの紹介で、ガレージスミダという板金の工房で作っていただけることになり、この春販売を開始します。試作品はひらがなの名前ですが、漢字もありだし、「ありがとう」「うつくしい」などの日本語モチーフでも作品を用意しています。書家というとアナログイメージですが、デジタル好きの書家・アーティストがいてもいいかもって。日本語の美しさに気付いてもらって、楽しんでもらえたらいいなと思っています。」

鎌倉に移住、書家として次のステージへ

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ご近所に由緒ある社寺が豊富、さすが鎌倉。

「最初はそんなつもりじゃなくて、打ち合わせで鎌倉に来たんですが、ひょんなことから今の家と出会って、思い切って引っ越すことにしました。元々海が好きで海の近くに住みたかったこともあります。海岸に歩いていけるなんて、いいでしょう。ご近所には、庭先にサーフボード置いてるお宅もあるんですよ。日差しも強くて、最高ですよね。」

▶東京は刺激的でスピードもありスタートアップにはピッタリの土地だった。一方で慌ただしさから離れて、ひとり集中して仕事をしたいという気持ちも強くなってきた。鎌倉はアーティストが仕事をしやすい静かな環境もあり、東京との距離感も調度いい場所。ここで作品を書いて、今年は個展が開けるといい、そういう夢もある。これまでも本の題字を書いたり、書家としての仕事のジャンルは広がるばかり、この春には鉄の作家と組んで住宅の内装を手がけるのだそうだ。

「仕事が広がってくると、ネガティブな問題も出てきます。これまでだったら、我慢して泣き寝入りだったのですが、言うべきことは言う勇気が持てるようになりました。黙っていては伝わらないし、乗り越えられない。自分は案外弱くない、トラブルがあれば悲しいけれど成長の力にもなる・・・負けず嫌いなんですね。少しずつ成功体験を積めたことで、試練も糧になると、前向きに捉えられるようになったんだと思います。書は心で書くもの、これからもっと心を強く育てて、書家として美しいものをつくりたいと思っているんです。」

鎌倉で思ったこと・・・
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鎌倉野菜の市場で。

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眩しい春の光、踏切を渡ると海に向かう道。

書というと堅苦しいか前衛、難しさの両極だと思っていた。でも「籠中会」に参加してみてイメージが好転した。それには國廣さんのきちんとした人柄に負うところが大きい。筆の入り方、紙に筆先降ろす瞬間の心一つで字が違ってしまう緊張感がたまらない。勝負!みたいな書の面白さ、ほんの一端でも体験できてよかった。もうすぐ移住予定の鎌倉をふたりで散策しつつ、のんびりお話を伺った時間。若竹のように、「なり」になっても折れない彼女の靭やかさを頼もしく、面白く感じた春の一日だった。

テキスト・構成 タコショウカイ