サムライ、ニューヨークワインの伝道師になる。 

IMG_0330後藤さんはニューヨークワインのインポーター。アメリカは生産量でも消費量でも品質でも世界屈指のワイン大国だが、後藤さんのワインは、有名なカルフォルニアでもオレゴンでもなくてニューヨーク。北米最古のワイナリーがNY州にあることは、あまり知られていないが、古い歴史と伝統のあるNY州のワインを専門に扱っている会社が後藤さんのGO-TO WINEだ。http://gotowine.jp/

 全米準優勝の空手家、ビジネスマンへの転身。

ラベンダーのシャツに貝紫色のチーフ、ワインの話をするから紫?TPOにあったシックな装いで現れた後藤さんは、極真空手の指導員・選手としてNY支部に派遣され、3000人以上の生徒を指導したこともある武道家という一面ももつ。

家業がステンレスを扱う貿易業で、跡継ぎの兄はアメリカやイギリスや中国に留学していたし、父を見ていたから、自分もいつか海外と関わる仕事するつもりでしたし、空手で行けるならと思って渡米しました。」

道場の師範代として活躍しつつ、選手としても北米と南米合わせた大会で準優勝したこともある。その決勝の対戦相手がK1で有名なブラジルのグラウべ・フェイトーザと聞くと、格闘技好きは興奮を隠せない。それは「後藤さん、本当に強いんだね。」と尊敬の眼差しに変わるくらいの偉業なのだ

「空手で食べていく気でした。いずれアメリカで自分の道場を出したら成功するだろうって確信もあったし。」

空手を教える一方で、大学院でMBAを取得、アメリカで一旗揚げる準備を着々とすすめていた。しかし卒業した直後の、2001年9月に911テロが勃発、ビザスポンサーをする会社が激減し、就職が難航する。仕方なく希望とは違う航空貨物の会社に就職、3年後豊田通商ニューヨーク支社に転職。トヨタ自動車の米国での現地生産をサポートするための鋼材の営業をしながら、グリーンカード(永住権)を取得すべく動いてもいた。ベクトルはアメリカでクールな空手師範として成功する方に向いていたはずだった。しかしハプニングが重なり、転機が訪れる。リーマン・ショック、お父さんの病気、奥さんの出産、ヒューストンへの転勤辞令に加え、道場を開こうとまでしていた自分自身の空手に疑問をもつ大事件がおこり、14年ぶりに祖国に帰国することになる。

 久しぶリのトウキョウ。 さて、どうやって食っていく?

14年も外国人相手に空手を指導し、選手を育てた実績があり、MBAも持っている、頼れる女性と結婚し、2児の父でもある。それなのに「日本に帰ってきた自分には何もない。」愕然としたのだという。こうまで環境が激変したら、しばらくはボンヤリするのがフツウだと思うけれど、闘う男はとにかく猛烈に動いてなんとかしようとする。日本の伝統工芸を応援するNPO、ワイン学校、自由大学と出会いを求めつつ、猛スピードで自分の道を模索し始めた。もがいている時、手広くワインのインポーターをやっているアメリカの友人が「日本のワインは高いから、オレがフランスから送るワインを日本で売れば?」という提案をしてくれた。家業は貿易業だし、ノウハウはあるだろうというのが友人の意見だった。
ミラクルが起こりはじめたのは、ここからだった。友人おすすめのフランスワインではなく、馴染みのあるNY州のワインを扱ったらいいかもという発想に至ったのだ。NYのフード業界で起こっている地産地消の流れ、食材もワインも地元でというムーブメントは追い風だ。品質はいいが生産規模が小さく、通常ではNYから出ないワインを日本で売れないか?最近まで生活していて、友人知人も多いのだから、NYテーマなら生きたビジネスができるんじゃないか。そう思うと彼は単身、知り合いゼロ、知識もないまま、NY州のワイナリーに飛び、生産者を訪問することにした。可能性を感じたらすぐ動く、行動が状況を動かす。不思議な連鎖が続いていく。

17:30@Uunion Square Tokyo

 NYワインをめぐるミラクルの連鎖

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ユニオンスクエア東京のバー NYの心意気を感じる場所。

「六本木に来るついでがあると、つい寄っちゃうんですよ。居心地がいいから。」

後藤さんが東京でNYを感じる場所に連れて行ってもらう。ミッドタウンの1Fにあるユニオンスクエア東京。ワインを納品しているお得意様でもある。場所柄か外国人客も多く、敷居が高い・・・

「ディナーはね、でも夕方のハッピーアワーはおすすめですよ。気軽に寄ってちょっと話すのにいいでしょ?お店の人がいい感じなんだよね。」

そうかも。洗練されているけど、働いている人たちは気取りがない、こういうクール&フレンドリーがNYっぽさなんだって。ウェルカムだけどドライ、絶妙な距離感。後藤さんを見つけたマネジャーやソムリエがやってきてNYワインの売れ行きについて話しては、ディナーの準備に戻っていく。ハッピーアワーに寄っていくお客さんたちは軽く一杯呑んで、バーテンダーと談笑して、いつのまにかいなくなっていて。へえ、ニューヨークマインドかっこいいね。

インポーターの仕事はワインを語ること

「実は、まだまだソムリエにもNYワインいいねって実感がないと思う。コスパではチリにはかなわないし、カルフォルニアと勝負するのも現実的じゃない。ただNYワインにはインポーターの努力で引き出せる魅力がある。NYっていう大消費地をバックに、最新のフードカルチャーと連動しているとか、同世代の若い作り手ががんばってるとか、ストーリーが面白い。だからソムリエを産地に連れて行って、生産者と会わせて、ワインに愛情をもってもらうとか、コストをかけてしっかりそういうプロモーションをすれば、お客さんにも熱心にすすめてくれるようになるはず。これまではできなかったけれど、2015年は勝負したいんですよ。」

生産者の人たち、彼が思い浮かべている顔は、2012年秋、飛び込み営業から関係を築いたNYワインのキーパーソンのことだ。

コネ無しアポなし、体育会系飛び込み営業

Anthony Road

アンソニーロードのオーナー。この出会いがNYワインビジネスのチャンスになった。

2012年の10月、いきなりコネなしアポなしでNY州のワイナリーを回り、日本に輸出してくれるワイナリーを探し歩いた。アメリカはチャレンジの国なんだろうけど、無謀にも程がある。案の定、アポなしで行ってもワイナリーで会える人はバイトの大学生ばかり。オーナークラスの人には会えずに帰国することになった。残念、だめだったかと思ったところ、またミラクルがやってくる。
今でも主要取引先になっているフィンガー・レイクスの「アンソニーロード」と、ロングアイランドのザ・ハンプトンズにあるセレブ御用達ワイナリー「ウォルファー・エステート」がメールで連絡してくれたのだ。最初は2軒、それでもゼロじゃなかった。次に、後藤さんはNYワインのコンベンションがあることを聞きつけ、そこに出席。ワインやブドウの産地の人たち、NY州ワイン関係者ばかり500人も集まる4年に一度の一大イベントだ。アメリカ人ばかりの中に乗り込んだ。そしてまたしても奇跡。なんと!メールをくれたアンソニーロードのオーナーはコンベンションの実力者だったのだ。
「このゴトーはうちのインポーターだよ、日本にワイン輸出したい人、手を上げて!」
「え!日本人がいるの?あ、お前インポーターなのか、話をしよう。」アンソニーロードのオーナーのおかげで、ほとんどそんなノリでつながりができていく。 ニューヨークワイン&グレープ財団をはじめ、ワイナリーやNYのワインインポーターにも知り合いができて、大胆なチャレンジは大きな実を結んだ。
日本デビューのチャンスも、準備が間に合わないほど急にやってくる。翌年の5月に関西の高級デパート梅田阪急のNYフェアに出店することになったのだ。これもたまたまバイヤーが相談したアメリカ大使館の人から、NYのワイナリーを経由して、日本人のインポーターがいるということで突如つながった話だった。好機を察知したらすぐ行動し、幸運を呼びこむ。一見失敗に思えることも、後でまるで予定されていたかのようにプラスに転換する。例えば不本意だった最初の就職、航空貨物の仕事を経験していたから、初めてのワインの空輸で価格を抑えることに成功したし、苦労せずに立ち回れた。商社の経験があったから、広いアメリカ国内をレンタカーで動き回り、アメリカ人相手に交渉することが出来た。運がいいだけじゃない、この人は出会う物事にきちんと向き合い、自分が納得するまでやりきる胆力がある、その結果、今人生の大きな歯車が回りはじめているのだ。

19:00@Brooklyn Ribbon Fries
「ワインは一本をシェアして飲むと、つながりができるんですよね。」

 

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ワインでカンパーイ、その場にいる全員で分かち合う幸せ。

場所を駒沢のブルックリン・リボン・フライに移動。螺旋状に揚げたポテトフライなど、素材の味がいきたシンプルなアメリカンフードを出すお店だ。NYワインのフラグショップ的なお店を出そうかと考えていた時、3人で駒沢に店をオープンしようとしていた井本さんたちに出会い、ワインを納めることになった

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オーナーの井本さんとはNYつながりで意気投合。

「コレほどスタイリッシュなかっこいい店は、自分には作れない。だったらここにワイン置いてもらってコラボしたほうがいいと思ったんです。」

インテリアやフードだけではない、井本さんや他のふたりのオーナー、店のスタッフも温かくて独特のスタイルがある。フレンドリーでクール、ここもNYマインドが充満している。
GO-TO WINE自慢のカベルネ・フランを一本開けた。お店でも人気で、早くも売り切れ直前。ワインを開けると、後藤さんはお店のスタッフにも、たまたまカウンターに座っていたお客さんにもシェア

「ワインは一本をシェアして呑むと、気持ちがつながるんですよ。NYのソムリエの受け売りだけどね。」

みんなでカンパイ!よく知らない人ともグラスを通して心が通じた気がして、楽しくなった。みんなで味わうNYワインは、エレガントでスムース、どんな料理にも合いそうでいて、ワインの味がしっかりしている。上品なおいしさ。シェア効果も絶大で、幸福感に酔ってしまいそう、運命と後藤さんに感謝、カンパイ!

ワインはコミュニケーションツール

GO-TO WINEの意味は「いきつけのワイン屋さん。NY時代にイメージの原点があったそうだ。後藤さんは会社員時代、ウォールストリート近くのドアマンがいる素敵なアパートメントに住んでいた。お洒落なご近所におじさんがひとりで仕切っている小さなワインショツプがあったそうだ。その店では「こういうワインが呑みたい」「今日のメインはステーキ」とかいうと、10ドルくらいでぴったりの美味しいワインをチョイスしてくれる。小さい商売なので次に行くと同じワインはないが、好みのワインがいつでも見つかるお店だった

「ある時、妻が出かけていて、僕が買いに行ったんです。適当なものを選んで、これくれって言ったら オヤジが『それはあんたの奥さんの好みじゃない』って別なワインをすすめてきたんですよ。客の顔と好みをちゃんと覚えている、やるなあ、と思いました。」

自分がワインビジネスをはじめる時、このお店のことを思い出したそうだ。お客さんとのコミュニケーションがワインビジネスのハート、売るのはワインだけではない。

 新しいアメリカンワインの歴史をつくっているという意識

Brooklyn Winery

ブルックリンワイナリーの貯蔵蔵。作り手と一緒にNYワインを育てていこうというマインドが仕事も面白く育てていく。

「NYワインという具体的な物を扱っていることで、井本さんたちのお店とも縁ができたし、いろんな人と出会って、つながりが生まれ、予想外の展開がおこる。いいもの見つけたなと思いました。コスト面では今すぐ儲かる商売じゃないけど、そういう問題じゃない気がしているんです。」例えば主な取引先フィンガー・レイクスの生産者は40代で、後藤さんと同年代の若い世代だそうだ。アメリカンワインとしては大きなマーケットではないNY州のワイナリーでワイン作りに奮闘している。インポーターとしては小規模で、1つのワイナリーから10ケースほどしか仕入れないGO-TO WINEのために、商品はワイナリーの人が出してまとめて空輸してもらっている。面倒な作業も、みんなで新しいワインの歴史を作っているんだという意識で力を貸してくれているのだそうだ

「自分たちが精魂込めて作っているワインを、日本で売りたいという奇特な男、ゴトーは面白いから応援してやるよっていうハートが嬉しい。そんな作り手の心意気を、日本で買ってくれる人にも伝えたい。ワインを売るっていうのは、作り手やワインが生まれた土地のストーリーを語ってこそ。僕は、NYワインを単なる酒としてだけじゃなくて、コミュニケーションのツールとして捉えて、ビジネスを展開していきたいと思っているんです。」

 ゴトーは本当に面白かった。
IMG_0339格闘家って問答無用で勝ちに行く強引な人種だと思っていた。でもそれは早とちり、闘う人はどう試合を進めるか、瞬間的に相手の出方を察知し行動するコミュニケーションの達人なのかも。後藤さんと話してそう思った。NYで起こったアメリカで自分の道場を持つという夢を方向変換するほどの大事件というのは、新しい師匠との出会いだったのだそうだ。超人的に「気」の強い人で、誰も勝てない。その師匠の元で、勝つことにこだわらない調和するための空手を知り、考えが180度かわった。気とは空気、気持ち、目に見えないものばかりだけれど、後藤さんのワインを一口呑んだときの気持ち、みんなでシェアしたあの場のやさしい空気は忘れがたい。2015年NYワインの目に見えない価値がひらきはじめる気がしてきた。

taco構成・インタビューBY タコショウカイ・モトカワマリコ