農と地方創生×可能性を武器に公益的な仕事をしたい

 初台の駅からほど近い、山手通りからわずかに入った白いオフィスビル。パティオのあるエントランスを見ただけで、センスが勝負のビジネスを連想させる。早く着きすぎて入口でぼんやりしていたら、青年が小走りにやってきた。複数の法人を切り回し、多数のベンチャー事業を担う経営者にしては若い、学生といっても通用する26歳、しかし関さんは、10代からビジネスを経験してきた強者なのだ。オフィスは最上階、2つのフロアを両方使って仕事をしている。片方はまだ空室で、これからオフィスとして使う予定だという。ガランとした空間、窓の下には西新宿の町が広がる。

「僕は農業生産法人、地方創生の会社で動きつつ、イベント関係の仕事もしているんですが、元々は不動産屋で、このビルも会社で管理を任されているんですよ。今いるこのフロアの隣をメインで使っていたけれど、手狭になったので、こちらに移る計画があって。窓が大きくて見晴らしがいいでしょ。」

大阪出身、そのわりに普段は関西アクセントが出ないから言わないとわからない。中学までは大阪だったが、高校からは東京に移ったからかもしれない。大阪時代は運動ばかりやっている元気な子どもだったそうだ。当時まだ珍しいドッジボールのチームに所属していて、大阪代表として全国大会に出るほどだった。とにかく運動には自信があった。高学年には市の陸上大会800m走の大会新記録で優勝したこともある。

「幼稚園のときから運動が好きで自分から体操教室に通っていました。その後小学生4年からはドッジボールのクラブに。学校のクラブではなく、少年野球みたいにドッジボールの団体があって、全国大会もあるんです。うちのチームは強豪で、3年連続大阪代表で出場し、優勝したこともあります。僕はずっと司令塔で、チームに指示を出す役割でした。毎日ドッジボール漬けで、楽しかったなあ、スポーツばっかりしていました。」

中学生になり、ドッジボールからテニスに鞍替えをする。テニスクラブに入って学校が終わるとテニスに没頭した。練習の甲斐あって、実力はテニスで高校の推薦入学が決まるほどだった。

「実はこの時期に両親が離婚して、東京に行く母についていくことになりまして。高校は東京にあるテニスの強豪校に入ることになりました。環境の変化が激しくて大変だったはずですけど、テニスさえできれば幸せだったから、あんまり深刻にならなかったな。高校ではテニス部に入りましたが、この時の部活の友人たちは僕にとって今でもとっても大事な仲間です。顧問の先生も新任だったから年齢が近くて、今でもいろんな話ができる人生の先輩です。本当に貴重な出会いでした。普通のクラスの友達と部活の友達の違いは、試合に勝つという目的ですね。ダブルスだったら、どういう作戦で試合に臨むかを、真剣に話し合うわけですよ。お互いに打ち込んでやっているテニスという共通の話題があるから、話が面白いし、深くなる。目的のある関係っていいなあ、楽しいなあと思いました。僕自身にリーダーシップがあるかどうかは、やや怪しいなと思いますけど、チームで何かを目指すのは子どもの頃から好きな方なのかもしれませんね。」

中学時代、自立したくて始めたネットビジネス

両親の離婚は深刻な事態ではなかった、といいながら実は危機感も抱いていた。そしてそれが彼に新しい扉を開く。親の離婚で一番心配だったのは経済だった。子どもながらに親に頼らずに自立して生きていかないといけない、現金を手に入れないと!人知れず思い詰めて、中学生でもお金を稼げる方法を探した。しかし中学生のアルバイトはとても少なく、賃金も割に合わない。どうしようか思案したあげく、関少年がとった手段は起業だった。

「将来が不安で、焦りまくり、とにかくお金を確保しなくちゃと思いました。子どもだったから思い込んでしまったんですね。本で勉強してホームページを立ち上げ、アフィリエイトで稼ごうと思いました。フィーチャーフォン向けのランキングサイトを作って運営していたら、月に4万とか5万儲かる仕組みが作れた。ランキング先と相互リンクをはって、訪問者を増やしたりして、アクセス数が上がれば収入も増えていく。高校生になってもこのビジネスを続けていて、経済的にも普通の中高生よりは豊かだったと思います。今から思うと、この頃からビジネスに興味があり、集客のロジックとか、そういうことに面白さを感じていたんです。」

高校生活は3年になるまでテニス漬けだったが、ネットビジネスをやっていく中で、経営に興味をもち、将来を考えるようになった。母親が再婚した相手は実業家で、自分で事業を起こして仕事を広げていくタイプの人だった。元々の父は教師だったので、考え方もかなり違う。新しい父を見ていると、会社経営は面白そうだ、組織で仕事をするよりは、会社を興して独立したい。それには本格的に経営を学ばないとダメじゃないかと思うようになる。

「大学で経営を学ぼうと思いましたが、通っていた高校の大学進学率はあまりよくなかったんですよ。高3から大手の予備校に通ってみたけれど、レベルが合わないので、個人塾みたいなところで補いながら、独学でこつこつ受験勉強を始めました。目指す大学に合格するのは大変だったんですけど、頑張りました。猛勉強の末、一年後には志望校に合格、特待生にもなれたので、中央大学の商学部に通うことになりました。」

大学生になって、ネットビジネスも拡大していく。 フィーチャーフォンが下火になったこともあり、スマホやPC向けに転換することに。そこでネットショップビジネスを始めたり、ホームページ制作の下請けをしたりして月に数十万稼ぐようになっていた。

「テニスもサークルに入って再開しつつ、大学の勉強の他に資格取得にも取り組みました。将来に備えて簿記とか不動産取引の資格などです。アルバイトも相当な種類をこなしていました。特に飲食関係や販売業など、経験値を上げておこうと思って、手広くやっていました。ネットビジネスと大学、アルバイト、サークルと忙しく過ごしていました。」

忙しい学生生活を経て、就職の時期になると、いずれは起業するつもりでいたものの、まずは大きな組織を経験しておこうと思い、大手の銀行系不動産会社に入社した。そこでは相続案件の仕事を担当し、銀行と連携しながら、土地活用などのコンサルタントを経験する。会社にいた3年の間に、不動産取引に必要なノウハウや、人脈を築き、独立の準備をすすめる。入社して3年、時期が来たと判断して、退職した。

自分ビジネスを束ね、20代半ば、経営者として立つ

「中学生の時からやっているネットビジネス、会社で学んだ不動産取引のノウハウはもちろん、同期などに人脈もでき、自分事業として併走していたイベントビジネスもありますから、独立してもやっていけると思いました。そのイベント事業は、いわゆるサードプレイスビジネスでTEAPARTYというプロジェクト。社会人が仕事の他に集まれる場づくりをするようなコミュニティ事業です。テーマを決めて、人を集めてイベント運営をするような感じ。最初は自分でイベントを運営していましたが、その後イベンターのサポートをするようなことにも発展しています。今後は、イベント周りの情報などを総括して提供できるアプリ開発も予定しているんです。ネットビジネスで培った集客ノウハウにもコンサルタント的な立ち位置で引き合いがあり、HP制作のサービスも商売になる、独立の勝算は十分ありました。」

独立してまもなく、思いもよらないところから声がかかる。義父に事業の引継がないかと誘われたのだ。引退を考えていた義父は、自分の事業を継ぐ相手として、同じ匂いを感じたのだろうか。息子も大きな組織に属さない実業家として、義父をリスペクトしていた。2016年の秋から、それまでまったく関わりのなかった父の事業、農業生産法人、地方創生の仕事を継承することになった。

新しい農業のスタイル、六次産業の未来を担いたい

「義父の事業は農業生産法人と、不動産系会社の2事業所で、とある学校法人の出資を受けて、農業を軸に地方創生事業をすすめるベンチャーです。農業は全くの門外漢で、自分としてはどう入っていったらいいか、まったくわからなかった。でも、農業って土地が大事なんですよ、そう考えると不動産の知識が生かせる。現場に赴き、仕事の詳細を知るにつれ、農地という特殊な土地を扱うこのビジネスが断然面白くなってきました。農地というのは、農業をする前提でしか使えないし、売買もできない不動産なので、相続人が農業をできない場合など、代替わりで持て余す場合も多々あります。弊社には農業従事者や技術者もいますし、売買だけとっても、農地の取引は特有のルールがあり専門知識が必要なので、実績やノウハウが強みになります。遊休地を買い取って農業と結びつける、地方創生や福祉に結びつけるなど、ビジネスの可能性は大きい。土地を扱う、相続もからむので、自分が培った不動産スキルが生かせますし、興味が尽きません。今後進めていきたいのは、農福連携です。農業は自然と向き合う仕事ですから、例えば障がいのある方でも取り組みやすいのではと思います。元々コミュニティ運営をやってみたり、僕は公益的な仕事に興味があるんですが、遊休地を活かして、地域社会に役立つ事業を回していけるといいなと思います。」

農業生産法人の仕事では、農園経営も行っている。伊豆にある農園「丸鉄園」では農業のプロと協力しながら、ミカンやイチゴなどを生産して観光農園ビジネスを動かしたり、生産物を流通させたり、直売したりする。また低糖質の米を開発して売り出すなどのブランド作物の生産、流通、販売も手掛けている。出資者でもある学校法人は「養殖マグロの近畿大学」のように「農業を活かした地方創生なら関東学院」というトータルなブランディングを目指しているのだそうだ。

「農業も事業として考える時代です、6次産業として、農業生産法人の役割は大きくなりつつあり、農業生産法人の後継者としては、やりがいを感じています。相続などの問題から、地方では遊休地が増えていますから、農業生産法人で購入できれば、そこで農業をやって、地域雇用を確保する、農産物を生産し流通まで面倒をみる。農地を確保するのは、一般的な不動産よりも複雑で困難な部分もあるんですが、意義のある仕事だなあと、やればやるほど思いを強めています。事業として考えるなら、国内だけではなく、海外展開も視野にいれたいものです。海外の農業を知ると、やはり日本の農業技術のレベルは世界一じゃないかと思います。農業従事者のみなさんの生産努力はすばらしい。せっかくの生産物の価値をあげて、もっと世界に発信していくことも、考えていきたいですね。」

農園+ホテル、グローサリーショップ、レストラン・・・進化中。

 伊豆の熱川で運営している農園「丸鉄園」では、観光農園事業を展開しているが、来年にはペットが泊まれるホテル開業を計画している。ただの温泉地のスパホテルではなく、近隣ホテルでは難しいペット同伴でも楽しめる施設があったり、滞在して農業体験ができたりする農園テーマパークみたいな構想を進めている。

「他にも某所に最高レベルの水質をもつ井戸がありまして、化粧品ができないかなとか、自然豊かな場所にシニアの方がペットと触れ合える施設を作るとか、農業、地方創生事業、土地活用から派生した仕事など、数えきれないほどの案件が動いています。毎日違うプロジェクトの打ち合わせが5~6件はあり、土日もないほどの多種多様な展開です。様々な分野からお声がけいただいて、多くの引き合いがあり、ありがたいなと思います。

最近、自分たちで生産した農産物を飲食店に流通されることを画策しているんですが、手始めに自分でお店を出しまして、自然薯を使った居酒屋をやってみたんですよ。店舗があると、イベントなどで集客もでき、生産物の宣伝にもなるのでやってみてよかったんですが、調理から、フロアから、自分もお店に入って飲食店を切りまわしていたんですけど、収益的には良くてもさすがに未経験だったので無理ですよね(笑)今はとても腕の良い料理人にお願いしています。その他、恵比寿で飲食店とマルシェが一体になったお店を始める計画があり、生産だけではなく、流通、販売のルートづくりもすすめています。ショップの目玉はブランド米です。低糖質でおいしいお米として付加価値をつけて売り出すんですけれど、弊社にはまだマーケティングデータがないので、ブランドを複数立てたり、ルートを変えたりして、どのパターンが一番売れるか市場実験をしてみたいと思っています。生産者が流通と販売を一貫して行うモデルとして、どんなデータが取れるか、期待しています。今やっていることは実験的でもあり、千差万別ですが、最終的にはすべて淘汰、集約されて、しかるべき方向に展開していく気がしています。」

30までは敢えて苦労するつもりなんですよ

義父から継承した農業生産法人「百の姓」や6次産業プロジェクト、農福連携事業などを手掛ける「株式会社たんぽぽ農園 ふるさと研究所」での仕事は目まぐるしくすすみ、多忙を極めるが、自分事業としてすすめてきたイベント事業「TEAPARTY」もまもなく法人化を控えている。それも?それもまだ回しているというのだから驚きだ。

「デイリーは農関係の仕事に追われているんですが、土日や夜はイベントの仕事も動かしています。イベント運営や場づくりのノウハウを活用して、地方創生と結びつける案も進んでいたりとか。これまで自分が踏んできた経験を新しい展開の中に生かしていこうと思うと、やることがありすぎて、目が回りそうですよ。

経営者の先輩などに、先のことを考えて動けとか、計画を立てろとアドバイスいただいているんですが、今、僕に訪れる出会いやチャンスは、自分の想像をはるかに超えているんです。だから考えるよりも、成り行きに任せてご縁をつなぐ方が、面白いし、大きくなれる気がしています。いい流れが来ているんだから、自分の考えで止めるなんて、もったいない。

目の前の数週間のことはプランニングしても、あまり先のことまで考えてない方がいい時期という判断で、あまり先のことは考えないことにしています。今は来る球を撃ち返し、経験を積み、知見を広げるだけ。来るものは拒まず、断らずにいます。若いうちに大変な思いをしておかないと、先々に苦労するぞ、という忠告もありますし。30歳までは苦労するつもりでいます。あと数年、30歳を越えたら、今やっていることが、しかるべき形でまとまっていくような気がするし、きっと仕事のレベルが違っていて、今考えうることよりも、いい仕事ができるようになっている、はず。それまで目の前の仕事をし、信頼できる仲間を集め、後輩を育てる。こだわらずに、マルチにやっていきたいと思っています。」

まだ20代半ば、修行中だといいながら、独自のセンスでビジネスを動かす若手実業家。インタビューの後もすぐ次の打ち合わせが控えているという。終始笑顔が絶えず、運動会の前夜のようなハイテンションで、目下のビジネスプランを語る関さん、仕事が大好き、楽しくてしょうがない、そんな空気が伝わってくる。 30歳になった関さんの目の前に広がるのはどんな光景だろうか、数年後また続きを伺いたいものだ。

【テキスト&写真タコショウカイ・モトカワマリコ】